「性」を消費するということ
もう今日は仕事する気になれないから、いっそ仕事しているふりをしてキーボードを叩きます。
さっきの投稿とは分けてきちんと書きたかったことがあります。
自分の考えを整理して、立場を明確にするためにも。
それは「女性が性を売り物にしていいのか」ということです。
これには様々な意見があると思いますが、私は反対です。
成人女性と未成年の女性ではまた話したいことが変わってくるので、まずは成人女性について。
世の中にはAVや風俗など、自分の「性」を売っている女性がいます。
「売る」ということは「買う」人がいるから成り立つことで。
じゃあその「買う」人は誰かと言えば、それは多くの場合男性ですよね。
まずここが納得できない。
なぜ女性は男性のために消費されなければいけないのか。
そして多くの男性は性を売る女性を低い人間として見ています。
それを生み出しているのが自分たちにもかかわらず。
よく「女は体を売れば簡単に金が手に入る」なんて言われていますが、
そんな社会を作ったのは「買う」側の人たちです。
需要がなければ供給は生まれない。
人は楽な方に流されやすい。
私は性を売らなくても女性が自立できる社会が必要だと思っています。
「学費が出せなくて」と言うなら、もっと手厚い奨学金制度が必要なのではないでしょうか。
「生活費を稼ぐため」と言うなら、貧困を自己責任にせず、社会として解決していかなければいけないのではないでしょうか。
そこから目を背けて「性」を売り物にすることを許してしまう社会に、私は納得がいきません。
また、根本として本当に「楽して稼げるのか」という問題もあります。
たしかに短時間で高いお給料はもらえる。
でも体は?心は?
そして未成年の問題。
これこそ男性たちの勝手な欲に巻きこまないでいただきたい。
さっきのブログ内容を見たら、かなり私情が入っていると言われそうですが、だからこそ考えるんです。
自分が未成年だったとき、世界はとてもキラキラしていました。
多くの夢を持ち、楽しいことに溢れていました。
そんな人生を送れたことを幸せに思っています。
同時に、あの頃の自分は「大人」にあこがれて、影響を受けやすかったとも思います。
常に背伸びをして、「早く大人になりたい」と願っていました。
そして自己承認欲求も強く、「誰かから認めてもらいたい」とも常に思っていました。
未成年ってそういうものじゃないでしょうか。
そういった多感な時代を過ごしている子たちを、自分たちの欲望のために消費する男性は恥ずかしくないのでしょうか。
たとえば、ネットに自分でそういった画像や動画をアップする子がいます。
でも彼女たちはなぜアップするのでしょうか。
それは誰かがかまうからではないでしょうか。
自分の性を売り物にすれば誰かがかまってくれる。
自分を認めてくれる、ちやほやしてくれる誰かがいる。
ではその「誰か」とは。
人は間違えます。
そのときの判断をのちに後悔することもあります。
しかし、未成年はその過ちから守られる権利があります。
そして大人にはそれを守る義務がある。
「性」を武器にしてしか満たされない思いがあるのなら、代わりの何かを差し出してあげるのが大人ではないのか。
守るべき存在に自分の欲望をぶつけるなんてもってのほかだと思っています。
大人の男性にかまわれる、ちやほやされるのなんて嬉しいですよ。
悪いのはちやほやする大人です。
自分たちの欲望のために未成年をいいように消費している大人たちです。
「男の本能だから」という言い分、まじで嫌いです。(そもそも「男だから」とか「女だから」という考え方が嫌いです)
男である前に人間です。
本能に従うのであればそれは動物です。
自分が人間だと思うのであれば、理性的であってほしい。
最後に、私は性を「売る」女性たちを否定はしません。
そうせざるをえない「何か」の方に問題があって、それを解決していきたいと思っています。
ここからはオットさんを想って。
「性癖は変わらない」という人もいます。
じゃあ変わらないから諦めていいのでしょうか。
性癖だけじゃない。
どんなことでも「諦めたらそこで試合終了だよ」ってたぷたぷした監督も言ってました。
私はオットさんを信じたいし、人はどんなことがあっても変われると思っています。
でも変わるためにはその人自身が「変わる必要がある」と思わなければいけない。
そこをどうしようか。